心臓血管外科ライブ手術ガイドライン(改訂版)
はじめに
2007年8月10日にライブ手術に関して、その目的を明らかにし、安全で教育効果のあるものとするために、日本心臓血管外科学会、日本胸部外科学会、日本血管外科学会の3学会合同で「胸部・心臓血管外科ライブ手術ガイドライン」が制定された。その後、2012年末までに計33例の届出があり、各実施施設はこのライブ手術ガイドラインに従い安全な手術を施行しようと努力しており、当初のガイドライン作成の目的は一定程度達成することができたと判断される。しかしながら、届出の現状は下記に要約したように不充分な点が認められた。
【2007年~2012年における届出の現状】
合計数:33件(すべて心臓血管外科に関するもの)。届出書の提出日:ライブ手術予定日の3か月前から当日まで様々。予定日の14日以内;14件(3日以内;5件を含む)。日付記載なし;9件。プログラム添付;26件。各施設の倫理委員会承認あり;28件で、倫理委員会議事録添付;3件。ライブ手術後の報告書あり;17件。また、2012年8月には、ライブ手術中に予期しない心停止から患者が死亡するという医療事故が発生した。
【ライブ手術の長所と短所】
長所:心臓血管外科手術では、術中に特にトラブルが無くても様々な局面に遭遇し、術者が的確に判断して対応を要する場面が多い。つまり、単に定型的な技術の連続で手術が終了することはほとんどない。ライブ手術では、視聴者が、術者と同時にその局面を経験して、その判断と対応を勉強できることに意義がある。また、その時の視聴者の印象は強く、教育効果は大きいことから、将来の患者に対する手術に役立つと考えられる。
短所:術者に余分なストレスがかかり、通常の実力を発揮できない可能性があり、ライブ手術を受ける患者にとっては、利益が無い。
このような心臓血管外科ライブ手術の現状を鑑みて、患者本人にとっては利益が無いにもかかわらず、ライブ手術を行う限りは、患者の手術安全を最重視した上で、教育効果が充分あることが必須であり、より適切にライブ手術を実施するためにガイドラインを改訂することとなった。なお、現状に即して、胸部外科(呼吸器と食道の外科)については言及せず、心臓血管外科のみのライブ手術ガイドラインとした。
Ⅰ.ライブ手術の目的
ライブ手術の企画では、心臓血管外科に関する様々な手術手技の教育を基本的目的とするものであって、優れた術者のパフォーマンスを供覧する場でもなければ、臨場感のみを求める視聴者に応えるものでもない。そのため、高度な技術を要する手術の場合は典型的な手術に限る、つまり、術者や施設にとっては習熟した標準的な手術であることが必要である。また、手術手技のみならず、適応を含めた手術戦略の選定、手術に必要な設備や機材の選択、麻酔を含む手術のサポート体制なども教育的価値が高いと考えられる。
Ⅱ.ライブ手術の要件
1.手術内容
- 心臓血管外科領域においては、ライブ手術に適する手術と適さない手術があるので、たとえ標準的手術であっても合併症や死亡率の高い手術は患者の人権に配慮して、ライブ手術の対象からは除外すべきである。何故なら、事故が起こった場合、ライブ手術によるリスクか、疾患本来のリスクかの判別が困難になると考えられるからである。
- また、術式選択に議論のある疾患はライブ手術には不適当と考える。手術直前や手術中にそれを議論することは術者の集中力を低下させるし、患者への最善の治療を提供していることにはならない。
- 新たな手術器具やデバイス(国内にて承認済のものに限る)を用いたライブ手術は、その学術的意義から妥当性あるものに限る。企業の宣伝のみを行うようなライブ手術は、金銭の授受が無くても、COI(利益相反)の観点から避けるべきである。
2.術者
ライブ手術を主催する学会や研究会において事前に検討され適任とされた者が術者となるが、以下の条件を全て満たすものとする。
- 当該手術に対して充分な知識と経験を有し、これを日常的に実践している者
- ライブ手術の趣旨を理解し、正しい教育を行える者
- 日本人の場合は、関連学会の指導医や専門医として認定されている者
- 原則として、術者は所属している施設でライブ手術を行う。もし、術者が他施設でライブ手術を行う場合は、助手や手洗いナースなどを含め、術者のチームとして手術を行うことが必要である。
- ライブ手術の内容に関連するCOI(利益相反)について、手術開始前に言及する。
3.実施施設
以下の条件を全て満たすものとする。
- すべての観点から社会的に透明性が保たれ、情報公開が行われている施設であること
- 外科医・麻酔科医・関連診療科・看護師・臨床工学技士など全ての医療従事者が当該手術に熟練し、不測の事態に速やかに対応できるように、連携が保たれ、術前の話し合いが充分になされていること
- 施設管理者も、ライブ手術の趣旨を理解し同意していること
- 関連学会認定の教育修練施設であること
4.視聴者
原則として、当該手術に関連する学会や研究会の会員である医師・看護師・技師などの医療従事者で、ライブ手術の目的を理解し患者の人権を尊重しているものとする。一般市民やマスコミは当然除外されるが、企業などの医療関係者は、主催者の判断で参加を認めてもよい。なお、ライブ手術では参加者を登録制にして、主催者が把握・管理することが望ましい。
III. 倫理的問題
1.インフォームドコンセント
ライブ手術は「手術手技の教育」が主な目的であるが、あくまでも患者の治療の一環であるので、手術チームと患者との十分な信頼関係の上で診療契約がなされることが重要である。そのためには、ライブ手術という特殊な環境下で行われることを十分に患者に説明して、インフォームドコンセント(同意)を得る必要がある。さらに、このインフォームドコンセントを得る際には、患者は医師からの依頼を断りにくい立場にあることを充分に考慮し、下記の点に留意することとする。
- ライブ手術の目的とその内容・問題点を説明し、充分に理解を得た上で患者自身の自由意思による判断であること。
- ライブ手術の教育効果により将来の患者治療に役立つが、本人にとっては利益が無く、むしろリスクが増すこともあり得ることを患者に伝える必要がある。その際には、ライブ手術では術者が通常の慣れた環境とは異なり、多数の視聴者の前で実技を公開するために余分なストレスがかかり、判断もその状況に影響されることがあり、術者の通常の実力を100%発揮できない可能性があるという内容を含むこと。
- 手術の説明は、術者が直接、当該患者に行い、書面での同意を得ること。ただし、術者と実施施設が異なる場合には、実施施設の主治医(責任者)でもよい。
2.倫理委員会
実施施設の倫理委員会では、このライブ手術ガイドラインの内容を理解して、それに沿ったライブ企画であることを確認した上で承認すること。そして、そのようにして承認したという内容を明記した議事録を提出することが望ましい。もし、議事録が無い場合には、上記内容を明記した文書を提出する必要がある。
なお、それぞれのライブ手術企画について、倫理委員会での議論は必要と考える。たとえ、毎年行う同じ内容のライブ企画であっても、手術内容・対象患者・社会情勢は異なるので、個々の手術が倫理的に問題ないかを検討するために、毎回、倫理委員会での承認が必要である。
3.患者のプライバシー
当該患者のプライバシーが決して侵されることがないように、個人情報は厳密に管理する必要があり、映像配信技術にも充分な配慮が求められる。
Ⅳ. ライブ手術の安全対策
1.手術内容の企画
前述したとおり、合併症や死亡率の高い手術は避けるべきである。また、時間的に余裕を持ったスケジュールのライブ企画とすることが必須である。術者が次に予定されている手術に気遣って焦り、患者の不利益にならないように、時間配分に留意することが重要である。また、術後の検討会にも術者が参加できるような時間的配慮が求められる。
2.実施施設
普段通りの手術をライブで行うためには、術者が所属している施設で行うことが強く推奨される。手術の安全性の確保には、使い慣れた手術器具をはじめとした、普段通りの手術室環境が必須であり、不測の事態にも迅速に対応できるという観点からは、他の医療従事者や関連診療科との連携が緊密に保たれた術者の所属施設での実施が最も優れている。
3.コーディネーター(手術室内)と司会者(会場)
術者とは別に適切なコーディネーターを手術室内に置くこと。コーディネーターの役割は重要で、術者・討論者・視聴者とのコミュニケーションを適切に保ちつつ、手術の進行を妨げないように心掛ける必要がある。討論者や視聴者から術者への質問は、状況によっては、コーディネーターがその内容をまとめて適切なタイミングで行うなどの工夫をして、円滑なライブ手術となるようにする。会場の司会者は術者の集中力を損なう質問やコメントを控えさせ、進行状況を判断して質問、コメントの可否とタイミングを決定する。術者は、ライブ手術では個人差はあるもののストレスが多く、術中の不適切な質問により、集中力の低下や判断ミスを起こす危険性があることを認識しておくことが重要である。
4.その他
- 撮影方法
ライブ手術の撮影は、良好な映像を求めることにこだわって手術手技の妨げになってはならない。術者が映像に配慮することはあっても、手技自体の質を落としたり、手術時間を極端に延長させたりしてはならない。コーディネーターや司会者が、撮影が手術手技の妨げにならないように充分に配慮する必要がある。 - 中継の中止
患者に重大な事態が生じた場合は、直ちに中継を中止し患者の救命に全力を尽さなければならない。その判断は司会者あるいはコーディネーターが負う。
Ⅴ.届出の義務
ライブ手術の届出を徹底することにより、実態を把握して、後述のように今後のライブ手術のあり方について検討できるように、届出を義務化する。届出責任者は、ライブ手術実施責任者もしくは実施施設の責任者(院長)とする。
1.実施前
届出先は日本心臓血管外科学会医療安全管理委員会(委員長宛)とする。 当面は、上記委員会が主体(窓口)となり、届出があれば、日本胸部外科学会と日本血管外科学会の医療安全委員会に速やかに配信して報告する。 期限はライブ手術実施予定日の2週間前までに提出することとする。 必要書類は以下の通りとする。
- 届出書(ライブ手術の目的、内容、術者、実施施設など企画の詳細)
- プログラム
- 実施施設における倫理委員会報告書(可能な限り議事録も添付)
- ライブ手術用チェックリスト(届出責任者の署名要)
なお、届出を受けた医療安全管理委員会は、ライブ手術実施を許認可する立場ではなく、許認可に関する責任は各施設にある。
2.実施後
届出先は実施前と同じとする。
期限はライブ手術後1~2か月を目途とする。
必要書類は以下の通りとする。
- 術後報告書
- 退院サマリーなど経過がわかるもの
ただし、もしも術中に事故が生じた場合や術後経過に問題があった場合は、できるだけ速やかに詳細を検討して報告すること。なお、重大な合併症や死亡事故などが発生した場合は、外部組織からの評価を受ける体制での院内の医療事故調査委員会を設置し、公正性と透明性を確保しなければならない。
Ⅵ.ライブ手術の評価
- 手術直後の検討会
手術中にはできなかった質問やコメントについて、術者と討論者・視聴者が充分に討論できる場を手術後に設け、手術の評価を行うべきである。教育という観点からこの術後の検討会は必須と考える。学会会場(研究会会場)とライブ実施施設が離れており、術者が検討会に直接参加できない場合には、インターネットによる映像を利用して参加することも考慮する。 - 術後報告書のまとめ
このライブ手術ガイドラインを制定した3学会は、一定期間の後、提出された術後報告書をまとめて合同で分析し、その後のライブ手術のあり方について検討する。
終わりに
ライブ手術の主な目的は「手術手技の教育」であり、術中の予期していなかった事態に対する術者の的確な判断などは、視聴者にとって参考になると思われる。しかし、ライブ手術の施行に当たって最も重要なことは、患者のための医療として行われていることをしっかり認識することであり、主催団体、術者、実施施設、さらには参加者(視聴者)すべてが、教育が目的であることを認識し、患者の安全を第一に置くべきである。手術の録画ビデオにおいても、様々な工夫をすることで、「手術手技の教育」が可能であることも認識しておくべきであろう。
ライブ手術の実施にあたっては、このガイドライン(改訂版)を遵守され、ライブ手術が安全かつ円滑に行われることを日本心臓血管外科学会、日本胸部外科学会、日本血管外科学会は希望する。
追記
本ガイドライン改訂に参画していただいた外部委員からの意見として
- ライブ手術の必然性についてはまだ疑問が残る。編集または未編集のビデオでも充分に勉強できるのではないか。
- 患者の理解が本当に得られたうえでの自由意志による同意かどうかがわかりにくい。
- 患者の不利益を考えれば、ライブ手術は全面禁止にする方がよい。
- マスコミの参加については、ライブ手術のあり方や透明性確保の点から、主旨を理解して事前に申請された場合には、限定的に認めてもよいのではないか。
などの発言があったことを追記しておく。
2014年6月12日 制定
特定非営利活動法人日本心臓血管外科学会
特定非営利活動法人日本胸部外科学会
特定非営利活動法人日本血管外科学会
心臓血管外科ライブ手術ガイドライン(改訂版)作成委員会
委員長 | 宮本裕治 | (兵庫医科大学) | |
---|---|---|---|
委員 | 日本心臓血管外科学会 理事長 | 上田裕一 | (奈良県総合医療センター) |
委員 | 日本胸部外科学会 理事長 | 坂田隆造 | (京都大学) |
委員 | 日本血管外科学会 理事長 | 宮田哲郎 | (国際医療福祉大学) |
委員 | 安達秀雄 | (自治医科大学附属さいたま医療センター) | |
委員 | 江石清行 | (長崎大学) | |
委員 | 椎谷紀彦 | (浜松医科大学) | |
委員 | 田代 忠 | (福岡大学) | |
委員 | 西田 博 | (東京女子医科大学) | |
委員 | 橋本和弘 | (東京慈恵会医科大学) | |
外部委員 | 前村 聡 | (日本経済新聞社) | |
外部委員 | 加藤良夫 | (栄法律事務所) | |
外部委員 | 山口育子 | (ささえあい医療人権センターコムル) |