北海道中央労災病院 せき損センター
日本心臓血管外科学会名誉会員 安田 慶秀
人口構成の変化、食生活をはじめとする生活習慣の変化により血管疾患患者は増加し、高齢で虚血性心疾患や脳血管疾患、呼吸器疾患など種々の全身合併症を有する症例も多い。2007年1月に末梢動脈疾患に関する国際的に標準化された診断と治療のガイドラインであるTASCⅡが発表され、わが国の血管外科医もこの指針をもとに血管外科診療を行うようになっている。診断・治療分野では、いわゆる「身体に優しい」低侵襲医療を望む大きい流れがあり、大動脈瘤手術におけるステントグラフト治療、末梢動脈疾患に対する血管内治療がわが国においても大きな比重を占めるようになりつつある。重症虚血肢に対する治療では積極的な血行再建の追求に加え遺伝子治療などの再生医療も導入されようとしている。日本血管外科学会は市民に国際的なレベルでの標準的な医療を提供することを目指すとともに、新しい治療法の導入にあたって各種治療法の選択基準 のガイドライン作成にも積極的に関わり、わが国のこの分野における医療の全般的なレベルアップへの積極的な貢献を目指すものである。
現代の血管外科は1940年代以降急速に発達したが、血管外科の基本的な手技はそれ以前から多くの先駆者によって培われてきた。1882年、Shedaは初めて静脈損傷を縫合、修復することに成功した。血管を吻合することに初めて成功したのはNikokaiEck(1887)で、彼は絹糸を用いイヌの門脈・下大静脈吻合を行った。1899年、Kummellはヒトの動脈の端々吻合に初めて成功した。また、この時代にはJassinowsky(1889)による結節縫合法、Jaboular(1896)によるU縫合法の実験が行われた。臨床例でも種々の血行再建が試みられ、Matas(1882)は上腕動脈の外傷性動脈瘤に対し外科治療を試みた。なお、チューブ吻合法としてガラス管(Abbe、1894)、象牙管(Nitze、1897)、吸収性マグネシウム管(Payr、1900)などが試みられた。
Alexis Carrel(1873-1944)は第一次世界大戦以前の血管外科の研究に特筆すべき業績を残し、“血管外科の父’’と呼ばれている。彼の業績は今日行われている血管縫合法の基礎を確立し、また、保存同種あるいは異種グラフトによる血管の置換術やバイパス術、さらに臓器移植に至る広範な実験を行い1912年ノーベル賞を受けた。血管吻合に関する彼の主張は今日なお血管外科の基本として受け入れられている。Carrelと同時期にGoyanes(1906)は膝窩静脈片を用いて膝裔動脈瘤切除後の欠損部を補填し、Lexer(1907)は腋窩動脈瘤切除に対して伏在静脈による血行再建を行った。また、これより先、1888年、Matasは動脈瘤にendoaneurysmorrhaphy法を行ったが、この術式は今日でも用いられている。このように、この時期に近代血管外科への基礎が築かれたかにみえるが、これらの研究は散発的であり、この後の40年間、血管外科の飛躍的な発展はみられなかった。この後、第二次世界大戦後に血管外科の黄金時代を迎えるが、それは血管造影法(dos Santos、1929)など診断学の進歩、同種血管の保存手技や人工血管の進歩、開胸術が安全に行えるようになったこと、輸血学の進歩、ヘパリンの臨床応用(Muray、1940)など、血管外科をとりまく医学の総合的な発展によるものであった。その応用は先天性心疾患にも向けられ、Gross(1938、動脈管開存に対する動脈管結紫術)、BlalockとTaussig(1944、Fallot四徴症に対する鎖骨下動脈・肺動脈吻合術)、Crafood、Gross(1945、大動脈縮窄に対する端々吻合術)などによって新術式が開発された。
血行再建の基本術式である血栓内膜摘除術(1946、dos Santos)、グラフト置換術、バイパス術(1948、Kunlin、大腿動脈閉塞に対する自家静脈バイパス術)の臨床例も相次いで報告された)。1952年、Dubostは腹部大動脈瘤の切除と同種大動脈グラフトによる再建術の最初の成功例を報告した。同時期にわが国の木本もアルコール保存同種大動脈グラフトを用いた腹部大動脈瘤の置換手術に成功している。高分子材料を使用した人工血管はVoorheesらはVniyon-N(ポリビニール線維)の使用に次いで多くの材質が検討され、現在最も多く使用されているポリエステル線維、テフロン線維による編み織り人工血管が開発された。人工血管を用いた胸部大動脈瘤に対する瘤切除・グラフト置換術は1955年、CooleyとDeBakeyにより報告された。
わが国の血管外科の歩みは、すでに19世紀に動脈瘤に対する動脈遮断術の臨床報告があり、引き続き20世紀初頭には動脈瘤摘出術と平行して動脈吻合術、自家静脈移植術などが相次いで行われた。1920年から1940年代には低迷していたが1950年頃からは戦時中に途絶えていた海外情報が怒涛のごとく流れ込み、ヘパリンやペニシリンも入手可能となることによって実験の復活と臨床応用がなされ1975年頃までには遅れていた血管外科の基礎がほぼ固まった。これらの進歩には日本外科学会における宿題報告で血管外科が取り上げられたことも大きな要因となっているように思われる。すなわち、1952年の学会で戸田博は縫合法としての各糸材料、縫合クリップ、各種保存液、自ら抽出・精製したヘパリンについて報告し、応用範囲は腎臓、脾臓、甲状腺などの臓器移植に及んだ。木本誠二はアルコール保存同種移植の実験を中心に報告した。木本らはこの年、Dubostらとほぼ同時期にアルコール保存同種大動脈グラフトを用いた腹部大動脈瘤の置換手術に成功した。1957年に橋本義夫は「血栓症塞栓症の外科」を担当し、発生病理、予防並びに治療法を種々の角度から検討した。1961年、杉江三郎は「縦隔腫瘍」の宿題報告で血管移植、特に静脈移植担当したが、この仕事はイヌを用いた系統的な人工血管移植実験へと進んで人工血管の治癒・病態理解に寄与した。静脈の手術では1952年、木村忠司がBudd-Chiari症候群に対する直達手術を行い併せて本症候群に対する形態学的分類を行った。井口潔は重症虚血肢のBuerger病症例で末梢側吻合部に動静脈瘻を増設する術式を考案し、また、草場昭とともに血管自動吻合器を考案した。1960年前半にFogartyカテーテルがわが国に紹介、輸入され、その簡便性から一挙に普及し、急性動脈閉塞の治療に著しい進歩をもたらした。
1960年代後半からわが国の血管疾患の内容は大きく変化した。それまで胸部大動脈瘤の大半を占めていた梅毒は姿を消し、動脈硬化性(変性)のものと交代した。高安動脈炎は病態の解明とともに「脈無し病」(清水健太郎、1948年)、大動脈炎症候群(上田英雄、、1965年)などが提唱されたが、現在ではそのpriorityが尊重され「高安動脈炎」と呼ぶことが国際的にも了承されている。稲田潔は外科治療の見地から脈無し病と異型大動脈縮窄が同一の病因の範疇に属することを明らかにし(1962年)、上野明は造影所見と病態生理の面から高安動脈炎を今日広く用いられている脈無し病型、異型縮窄型、混合型および拡張型の4型分類した。高安動脈炎は、近年その発症率と脳の乏血症状を呈する重症例は低下しており、その生命予後は拡張型病変、すなわち大動脈瘤破裂や大動脈弁閉鎖不全による心不全により左右されるものとなっている。Buerger病は1960年にWesslerらにより閉塞性動脈硬化症との関連で論争が提起されたが、石川浩一は自験例を詳細に分析し粥状硬化症とは明らかに異なる臨床的特徴を有する疾患として存在することを明らかにした。近年、その発症率は低下し病状も軽症化し、肢切断に至る症例は希となっている。
1960年頃から欧米の専門施設に留学していた若手の血管外科医が相次いで帰国し日本血管外科研究会を創立した。当時の主なメンバーは上野明、三島好雄、阪口周吉、古川欽一、田邊達三、勝村達喜、草場昭らであった。血管外科研究会は「血管外科フォーラム」を経て、92年に「日本血管外科学会」と改称され今日に至っている。現在会員数は3,000人、日本胸部外科学会、日本心臓血管外科学会の3学会で日本心臓血管外科専門医機構を構成し2002名の日本心臓血管外科専門医を有している。
日本血管外科学会の主な事業は、定期学術集会および教育セミナー開催、血管外科手術症例の全国調査(毎年)、機関誌の発行;日本血管外科学会雑誌(和文、英文、隔月)、AVD(Asian Vascular Disease、日本静脈学会、日本脈管学会との共同発行、電子ジャーナル版と冊子体、英文)を行い、また日本静脈学会、日本脈管学会とともに血管診療検査技師認定機構を構築しコメデイカル育成に努めている。
国際学会関連では1994年にアジア血管外科学会が創立され、韓国血管外科学会、ヨーロッパ血管外科学会とも毎年ジョイントミーテイングがもたれている。
血管外科の進歩はめざましい。大血管領域ではより扱いやすく生体反応の少ないグラフトの改良と補助手段法、末梢動脈領域では遠隔期におけるグラフト、あるいは吻合部の内膜肥厚が問題となっている。高齢化社会がすすむ中で種々の全身合併症を有し、また重篤な症状を呈する症例も増えており、診断、治療にも低侵襲性が益々求められる時代となっている。末梢血管疾患、大血管領域ともendovascularsurgeryの重要性が増してきており、日本血管外科学会はわが国における大動脈瘤に対するステントグラフト治療導入に際し、その安全性の確保と普及のための指針作りに中心的な役割を果たしてきた。今後新しい診断法や治療法の開発、臨床導入における安全性のチェック体制も含めて本学会の果たす役割は益々増していくものと思われる。